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骨太エール [読書]

今になってその良さが
なんとなくでも分かるようになったのは
ミフネトシローだけではない
小林秀雄もそうである
彼の文章のなんと骨太なことか
いや文章だけでは無く
思想、おそらく生き方そのものが
きっと骨太だったのだろう

「読書について」という本に収められている
「読書週間」というエッセイにある
小林秀雄の言葉を
私が好きな人たちに
エールとして勝手に送る
おそらく私と似てるだろうから

「私は、
決して馬鹿ではないのに
人生に迷って
途方にくれている人の方が好きですし、
教養ある人とも
思われます。」

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本物は語らず:木本正次「小説出光佐三」 [読書]

昨年来、家族旅行や出張などで出かけていた
門司港や下関など関門海峡周辺が
出光佐三のゆかりの地だったのであるなと
尾道図書館で借りてきた因島図書館の蔵書本(1982年刊)を
ボギイでサンデーカレーを喰いながら読みつつ
感慨にふけった私なのであった
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「出光は海賊だといえばいいよ」
と、いかにもキャッチーな
件のベストセラーの題名になった文章は
本筋に入る前のかなり初期の部分にあって
戦争中から軍と官の癒着に反抗し
戦後は石油カルテルと戦うなど
何度挫折しても人中心の経営を貫いた出光佐三の
真のクライマックスは敗戦後のどん底
61歳での再出発から日章丸事件へ
この「武装を持たない一民間企業が、
当時世界第二の海軍力を持っていたイギリスに
“喧嘩を売った”事件」(ウィキペディア)が圧巻である
そう、人を思う気持ちと国を思う気持ちは、本来同じベクトルのはずだ
真のグローバリゼーションは真のナショナリズムからしか
生まれないのではと気づかされる

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「小説出光佐三:燃える男の肖像」 木本 正次
(復刊ドットコム、2015,9 ISBN:978-4835452555)
今ならアマゾンでも書店でも注文すれば買える
ゲスなビジネス愛国作家とは全く異なる
真の愛国者の姿を
本物の本で確かめていただきたい

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面倒だから、しよう  [読書]

何かがヒットすれば
飽きられるまで似たようなものを出し続け
ヒットの要因となったオリジナルの長所さえも
引きずり下ろすかのごとく
どんどん陳腐化させてしまう傾向は
自己啓発本などにも言えると思うが
その中で前作「置かれた場所で咲きなさい」がベストセラーになり
その価値を失わない理由が
この続編を読むと分かる気がするのである

それは、内容の根本に「信仰」があるからなのではないかと
私は思うのだ
じゃあ「信仰」とは何ぞや、であるが
それは私にはまだよくわからない
ずいぶん前にキリスト教の学校に通って以来
「信仰」という言葉には何か特別なものを感じるのだが
それが何であるかはいまだにわからないのである

わからないのだけれども、前作と同じように
この本にも押しつけがましいところがなく、薄っぺらさもなく
どんどん身体に入っていき、読後感が爽やかなのは
作者の「信仰」を土台としているからだろう
という気がひたすらするのである

苦しい局面に見舞われるたびに
神の言葉に幾度となく支えられ
本当に大切なものに気付かせてくれたことに対する感謝と
そのような神の存在に対する全幅の信頼みたいなもの
じゃないかなと今は思っている

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幻冬舎刊
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福山である理由 「天を裂く:水野勝成放浪記」 [読書]

備後・福山に縁もゆかりも無い私が
なぜ流れ着き、しれっと暮らしているのか
その理由が、なんとなくわかった気がした

水野勝成である

いわずと知れた
福山城初代藩主だが
いやまさか、これほどの人物だったとは
戦国時代の豪傑は数多いが
破天荒はこの人が一番じゃなかろうか
ほとんど知られて無いのが
不思議で仕方が無い
なぜ大河ドラマにしないのだろう

大塚卓嗣「天を裂く:水野勝成放浪記」(学研)
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信長が永楽銭の旗印を与え
一人で一万の敵に当たる戦巧者。
家康の年若い従兄弟にして
三河刈谷・水野家の御曹司。
切腹より重い処罰を食らい
天下人・秀吉に命を狙われ
家を捨て、名を変え
主と戦場を渡り歩いた若者が
放浪の果てに臨んだ
関が原の大勝負とは!?
(以上、裏帯より)

こんな傑物が福山の基礎を築いたのだ
福山人はもっと誇っていいと思う

命がけの男たちの
男くさい会話に、行動に痺れる
気分がスカッとする一冊である

こういうのもあります

中山善照ほか「まんが物語福山の歴史 上下巻合冊版」(みんなのわたしの啓文社)
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実は、この本を読んだのが
「天を裂く」を読むきっかけだった
読みやすいので
見かけたらぜひ手にとってみてください

   ☆   ☆   ☆

おまけ

福山城
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日常の暮らしのすぐそばに
大きな歴史のドラマが息づいている
なんちゃって

艮神社
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福山城の、いや福山の鬼門を守る神さま
「天を裂く」にも出てくる勝成の長男・勝俊の
菩提寺の向いにある
参道から曲がったところに階段があるのが
風情があっていいです



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空母零(ゼロ)戦隊:バイアスのかからなさ具合が名操縦士の証 [読書]

相変わらず「永遠のゼロ」をまだ読んでいない私が
「永遠のゼロ」を読むために読んだ本だ
「壬生義士伝」「大空のサムライ」そして今回が3冊目である

戦記を読むのは難しい
過酷な環境、異常な精神状態
思想信条、国家観
ときには物欲や名誉欲が絡んだ上
すべてが青春の思い出として語られる
バイアスがかかりまくりで
たとえ最前線で戦った人の話でも
まったくの真実とみなすのは危うい

ただ、これだけは言える
言葉は美しく飾られるほど心に届かなくなる
逆もまた真である
そして優秀な戦闘機乗りであればあるほど
飾り気がなく率直な人が多い
自分を見失わず自分に酔わず
常に冷静に、見るべきものを見ている
この本の著者もそうだ
若手からゴッドと呼ばれたほどのゼロファイターで
中国大陸上空での零戦初の空戦に参加した一人でもある
太平洋戦争当初は教官として
激烈悲壮を極めた戦争後半は最前線の死の淵で
一度も被弾することなく戦い抜いた

岩井 勉「空母零(ゼロ)戦隊」(文春文庫)
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ゼロ戦で戦うこととあの戦争の雰囲気が
理屈抜きに伝わってくる名著である
当時特攻基地を訪れた家族のエピソードなど
この著者ならではの視点も素晴らしい

    今、国分基地は、厳しい軍律のなかでの特攻作戦と、
   プライベートの人情とが渦を巻いている。日本がどん底に
   追いつめられた縮図でもあったのだった

「永遠のゼロ」を読む前に、是非
 
 
    ☆   ☆   ☆
 
 
(追記)
思いつきなのだが、タイトルの「空母零(ゼロ)戦隊」
空母がゼロ(=無い)という意味じゃないかと、ふと思った
本来は海軍パイロットで空母艦載機部隊の所属なのに
帰るべき空母がどんどん沈められ
無くなってしまったからである


 
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わたしのえほん [読書]

ばーとん「はたらきもののじょせつしゃけいてぃー」
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ゆきを かぶり、いちめん まっしろに なった まちを
いちだいの じょせつしゃが、ゆきかきを していく
はーとがたの はいせつばんで
「ちゃっちゃっ」と、ひたすら ゆきかきを していく

さくしゃの ばーじにあ・りー・ばーとんの おはなしには
のりものが よく とうじょうする
きかんしゃの ちゅうちゅうも そうだし
ちいさいおうち だって たしか
おおきな とれーらーに のっけられていた
それらが ちいさい おとこのこ ごころを
おおいに しげきした ように おもう

また、この ばーとんは
きゃさりん・へぷばーんと ほぼ どうせだいである
かたや、けっこんし おかあさんになり えほんを かき
かたや、でんせつの だいじょゆう となり
せだいを こえ、じかんを こえ、きょりを こえ
わたしに おおきい えいきょうを あたえている
いだいな あめりかん じょせいたちである
(そして どちらも こせいてきな びじんです はあと)

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本物は語らず:読書編 [読書]

ふつうに当たり前であることが
いかに幸せで尊いかは
それを失ったときにわかる
私も経験した
母を失った時だ

でもいつか
ふつうに当たり前であることが
日常に紛れていき
有り難みは薄れてしまった

その有り難みを
急速にあふれだす涙とともに
バッチリ思い出させてくれるのが
この本である

ノーマ コーネット マレック作
佐川 睦訳
「最後だとわかっていたなら」
サンクチュアリ出版(2007)
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真実は
「アメリカで生活する女性・ノーマが、
亡くなった我が子を偲んで書いた詩」

それが

「9.11テロの時、救出作業の途中に亡くなった
29歳の消防士が、生前に書き残した詩」

という虚構として世界中に配信され
広く知られるようになったという

世界に広まったエピソードは偽物だが
詩も、詩を書いた人も、詩を訳し本にまでした人も
本物である。だから心を打つ

   ☆   ☆   ☆

坂井三郎 「大空のサムライ:かえらざる零戦隊」(光人社, 1994)
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これは名作である
本を読んでいるのに
文章を目で追っているのに
目の前に映像がどんどん浮かんでくる
率直な文章がとても読みやすく
ワクワクドキドキして
そして何度も涙してしまう
終わり方が少し唐突な印象があるが
名画『幕末太陽傳』だってそうなのだ
読んだことがない人は読まないと損だ

だが、この本に書かれてあることは
全が真実だとは言えないらしい(撃墜数など)
また、これは私にもわかるが
主人公が活躍したのは
日本軍およびゼロ戦が圧倒的優位だった時期であり
戦況が一変する頃には、一線を退いているのである
その意味で、No.1ゼロ・ファイターであるとも言いがたい

そして何より大事なことは
この本は撃墜王と呼ばれる坂井氏が
書いたものではないことだ
もともとは、坂井氏が記したと思われる記録が
この世界的なベストセラー小説になるまでの間に
私が知るかぎり四人の人間の手が入っている
日本人二人、日系人一人
そしてマーチン・ケイディンという作家である
私が読んだごっつい本は、実は
このマーチン・ケイディンの書いた「Samurai!」の
日本語版なのである
(著者は出版社の高城肇という人らしい)

おそらく坂井氏は、自分の書いた記録が
本になり世界中に反響を呼ぶことになるとは
思いもしなかったろう
(そして彼自身の戦後を変えてしまうことも)

あの戦争は
想像を絶する凄惨な戦争だったから
戦火をくぐり抜けて来た人の中に
語る人が非常に少ないということに
思いをいたさなければならないが

彼は少なくとも
この本のタネを蒔いたそのときには
間違いなく本物だったのである

戦時下の、あの厳しい状況に置かれた
戦闘機乗りたちの姿や心意気が
手に取るように伝わって来る気がするのは
きっと、語ろうとして語ったものでは
なかったからなのだ

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壬生義士伝(みぶぎしでん):「レ・ミゼラブル」の感動 と 「パルプ ・フィクション」の巧妙 [読書]

その世界観に慣れはじめると
すごく面白くて一気に読んでしまった
一気に読むには少々量が多かったかな
はぁくたびれた

読後の感想は、ひとことでいえば
新撰組版「レ・ミゼラブル」である
単に歴史の一ページをひも解くだけでなく
世の中の、今も昔も変わらない
組織や人間関係の難しさや非条理に翻弄される
弱い立場の人間の苦しみに涙し
弱いながらもけなげに立ち向かう姿にまた涙する
ともかく涙なしには読めない壮大な物語であって
壮快感やカタルシスは得られないかもしれないが
読まなきゃ良かったと思う事は決して無い

ただし新撰組の話なので
壮絶で血生臭さい場面は避けられない
だがそこは読書のいいところ
想像力さえ働かせれば
その世界を限りなく広げる事もできれば
見たくないものを柔らかく包み隠すことも可能なのだ

そもそもこの本を読むことになったのは
昨今人気の「永遠のゼロ」という作品の構成が
この作品にそっくりだという話を聞いたからである
たしかにこの「壬生義士伝」の構成は変っていて
さしずめ小説版「パルプフィクション」だろうか
慣れるまで少し時間がかかったのはそのせいか
 
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浅田次郎「壬生義士伝 上 ・下」(文書文庫)

実はまだ、読むきっかけとなった
「永遠のゼロ」をまだ読んでいない
さあどうなるだろう、我ながら楽しみである
 
 

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置かれた場所で咲きなさい / 渡辺和子著 [読書]

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幻冬舎、2012 952円+税

大切なことはシンプルで
数もそんなに多くない
それを知識として知ってるということと
経験を通じて身に染みているということとは
まるで次元が違う
歳をとり経験を重ねれば
自然と理解できることでも
若い人だとそうはいかない
だから、経験する代わりに本を読む
読んで考えることが必要だ
一方、ある程度経験を積んだ人が
読書を通じ経験に照らして
大切なことの大切さを
あらためて深く認識し直すこともある

最初タイトルを見たとき
また自己啓発本かと思った
新書だし、安いし、読みやすい
各文末には要約が大きな文字で書いてある
よくあるヤツであることは間違いない

でもね、いいこと書いてあるんですよ
大きな文字にならなかったところにもいっぱい
わかってるつもりで、ぜんぜん身についてないことに
たくさんたくさん気づかされる
そして読んだあと、少し優しい気持ちになります

書いた人がどんな人で
背景にどんなことがあったのかも
読めばわかるようになっている
だから白紙で読み始めるのがオススメです

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これぞ夏本「夏の庭」;普遍的であること [読書]

絵画であれ音楽であれ建築であれ
テーマや内容が普遍的であることは
優れた作品に共通した要素である
年月を超え文化を超え人種を超えて
幅広い人々の共感を得
感動を与えることができるからだ

たとえば映画「パルプフィクション」
縁遠い極悪ギャングの話なのだが
下世話な噂話や下ネタ
身近な人々に対する礼儀や敬意
家族や恋人への気配り・忍耐など
ちょっとしたことで一喜一憂する様子や
笑っちゃうくらい身近でありふれたエピソードに
親近感が沸き、説得力が増すことで
深い共感を生むのである

フェルメールの絵画にしてもそうだ
描かれている女性の
今そこにいるような瑞々しさは
我々が好ましいと思う女性に感じるものと
ほとんど同じである
この臨場感が感動を呼ぶのである

お芝居も同じだと思う
共感がないところに感動はない
だからこそディテールにこだわるのである
普遍的であるために必要だからだ

そしてこの本「夏の庭」
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夏はそもそも幽霊の季節
大きな戦争もあったりで
「死」と関わりが深い
そして「死」は
それ自体が普遍的なテーマである
「死」を考えることは
「生」を考えることにほかならないからだ
実感に乏しい子供の頃は特に

「死」というと重くなりがちだが
この本は軽い。心地いいくらい軽い
そして読後感が大変爽快だ
だれもが子供のときに感じた夏が
この本に凝縮している
甘酸っぱい果汁のように
 
 
夏の庭―The Friends
湯本 香樹実
なお写真はハードカバーですが
新潮文庫で420円です

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