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本物は語らず:読書編 [読書]

ふつうに当たり前であることが
いかに幸せで尊いかは
それを失ったときにわかる
私も経験した
母を失った時だ

でもいつか
ふつうに当たり前であることが
日常に紛れていき
有り難みは薄れてしまった

その有り難みを
急速にあふれだす涙とともに
バッチリ思い出させてくれるのが
この本である

ノーマ コーネット マレック作
佐川 睦訳
「最後だとわかっていたなら」
サンクチュアリ出版(2007)
20130621norma.jpg

真実は
「アメリカで生活する女性・ノーマが、
亡くなった我が子を偲んで書いた詩」

それが

「9.11テロの時、救出作業の途中に亡くなった
29歳の消防士が、生前に書き残した詩」

という虚構として世界中に配信され
広く知られるようになったという

世界に広まったエピソードは偽物だが
詩も、詩を書いた人も、詩を訳し本にまでした人も
本物である。だから心を打つ

   ☆   ☆   ☆

坂井三郎 「大空のサムライ:かえらざる零戦隊」(光人社, 1994)
20130619samurai.jpg

これは名作である
本を読んでいるのに
文章を目で追っているのに
目の前に映像がどんどん浮かんでくる
率直な文章がとても読みやすく
ワクワクドキドキして
そして何度も涙してしまう
終わり方が少し唐突な印象があるが
名画『幕末太陽傳』だってそうなのだ
読んだことがない人は読まないと損だ

だが、この本に書かれてあることは
全が真実だとは言えないらしい(撃墜数など)
また、これは私にもわかるが
主人公が活躍したのは
日本軍およびゼロ戦が圧倒的優位だった時期であり
戦況が一変する頃には、一線を退いているのである
その意味で、No.1ゼロ・ファイターであるとも言いがたい

そして何より大事なことは
この本は撃墜王と呼ばれる坂井氏が
書いたものではないことだ
もともとは、坂井氏が記したと思われる記録が
この世界的なベストセラー小説になるまでの間に
私が知るかぎり四人の人間の手が入っている
日本人二人、日系人一人
そしてマーチン・ケイディンという作家である
私が読んだごっつい本は、実は
このマーチン・ケイディンの書いた「Samurai!」の
日本語版なのである
(著者は出版社の高城肇という人らしい)

おそらく坂井氏は、自分の書いた記録が
本になり世界中に反響を呼ぶことになるとは
思いもしなかったろう
(そして彼自身の戦後を変えてしまうことも)

あの戦争は
想像を絶する凄惨な戦争だったから
戦火をくぐり抜けて来た人の中に
語る人が非常に少ないということに
思いをいたさなければならないが

彼は少なくとも
この本のタネを蒔いたそのときには
間違いなく本物だったのである

戦時下の、あの厳しい状況に置かれた
戦闘機乗りたちの姿や心意気が
手に取るように伝わって来る気がするのは
きっと、語ろうとして語ったものでは
なかったからなのだ

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