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映画「東京オリンピック」を見ずして1964年を語るなかれ [映画]

台風に台無しにされたこの連休中
テレビでよく話題にのぼるのは「1964年」である
今からちょうど50年前という節目であり
「新幹線」が登場し「東京オリンピック」が開催され
戦後日本の転換点になった年でもあったからだろう
特にこの2つは、主題としてよく取り上げられている

でもちょっと待ってほしい

「1964年」を語るなら
「東京オリンピック」を語るなら
まず、この映画を観なくちゃでしょう
20141013todvd.jpg
オリンピックの翌年に劇場公開された
市川崑が総監督の、3時間近い超大作であり
国内歴代2位の動員記録をもつ傑作である
私が傑作だと思う理由は次のとおり

・記録ではなくドラマであり、ドキュメンタリーではなく映画である
・人間中心の視点-アスリートだけではなく、
 観客や審判、整備員から
 沿道の一般大衆の表情まで丁寧に捉えていて
 当時の気分といったものが、ひしひしと伝わってくる
 「1964年を語るなら」と私が思う所以だ
・雨のしずくや食事風景、補給所の描写、
サスペンスぽい音楽(JAZZもあり)
 など、「感動を盛り上げる」とは異なる志向

【脚本の存在】
その序にいう
「この映画は純然たる記録であって、しかも単なる記録に止めてはならない」と
結果としてこの映画は、単なる記録映画ではなく、立派な映画作品となっているのだ。例をあげると
20141013toabeseika.jpg
競技場に向かうアベベの肩越しに、聖火台が見える
こんな映画のワンシーンのようなドラマチックな映像が
なぜ撮れるのか。その答えが「脚本の存在」である
起こりうる事柄を可能な限り予測して練り上げられた脚本だ
その脚本があることにより
現場のスタッフが、その場で起きた事を
監督の意図に沿うような映像に収める事ができたのだそうだ
これって、日常の仕事にも通じていて
予測できないということについ甘えて
その場限りの出たところ勝負になりがちだけれど
それでは組織的な仕事はできないのである
もちろん脚本には和田夏十がクレジットされている
市川崑経由ではなく和田夏十経由でこの映画にたどり着いた私は
その仕事ぶりにあらためて驚嘆するばかりである

【スター】
伝説の神永vsへーシンク戦や
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大松ジャパンはいうまでもなく
アベベのカッコいいこと!
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その表彰式での円谷の微笑
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そしてチャフラフスカの艶やかさ
20141013tochafla.jpg
伝説のスターそろい踏みである

【50年前の東京】
ちょうど今から50年前の東京の
10月10日からの15日間がまるごと
この映画には詰まっている
そこに登場する人々の
ひたむきな熱意と
落ち着きやたたずまいといったもの
この50年に失ったものが何かを
次の50年に目指すべきものが何かを
教えてくれるような気がする
20141013toheikaisiki.jpg

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